バルス離れの原因に見る 企業とSNSの適切な距離感、そしてテレビの終焉
ネットニュースより
ちょっとした話題になっていたバルス祭り。
前回より半減し、106,338ツイート(秒)にとどまったのだとか。(それでも、十分爆発的な数字だとは思いますが…)
放送前から
「バルス祭りだ!」
と前回と同様ネット界では盛り上がりを見せたものの、なぜ前回の半分という数値に終始してしまったのか。
かつてtwitterの中の人をやっていた視点から
1.そもそもの原因
3.企業とSNSユーザーとの距離感
という目線で、私なりに振り返っていきたいと思います。
バルス離れの原因
今回のバルス祭りがなぜ前回より半減してしまったのか。
その原因は2つあると考えています。
1.twitterのアクティブ率の低下
2.オフィシャルが祭りに便乗して退屈なものにさせた
という2点です。
1点目は、前回「バルス祭り」と呼ばれる社会現象が起こった2013年と比較し、twitterのアクティブユーザー(以下AU)率(頻繁にtwitterを使用するユーザー)の割合が落ち込んでいるということです。
twitterの中の人をやっていた際に特に感じたのは、2014年の末頃から、閲覧はあるもののRTやお気に入りはしない、いわゆる「ROM専」ユーザーの増加です。
FB、twitterというSNSの2軸がメインだった当時から、instagramなど多様化したため、twitterで書き込むそもそもんの人口が前回より減少したことがあげられます。
2点目は、オフィシャルが祭りに便乗して退屈なものにさせたということです。
これについては、次の章で詳しく述べて行きたいと思います。
テレビ局のSNSに関するリテラシーの欠如。テレビ局の終焉
先ほど述べたtwitterのAU率の低下以上に、今回のバルス祭りが前回より半減してしまった最大の原因。それは
テレビ局がユーザーとの距離感を大きく見誤った
ことにあると考えます。
今回のバルス祭りにおいて、テレビ局側はとんでもない仕掛け()を用意しました。
新年のカウントダウンよろしく、「バルス」という台詞が出るまでのカウントダウンです。
これを見た時に、あぁ、やっちゃったな~テレビ局さんは…
きっとテレビ局職員の人は、ドヤ顔でこれすりゃ数字稼げるとでも思ったんでしょうね。
というお話はさておき、本題に。
ここで、テレビ局がユーザーとの距離感を見誤ったと感じるのは
1.公式が便乗して、自ら流行を作ろうとした
2.「バルス祭り」の本質を見誤った
ということです。
そもそも、SNSの世界での流行というものは
マスメディアとは一線を画したある種の「別世界」のもの。
表立って企業がしゃしゃり出て、わざわざ作り出すものではないということです。
「せ~の、さぁ!みなさん、やりましょう!」
なんて旗手を振った時には、ユーザーがしらけてしまってやらなくなっちゃう。
そんなことをテレビ局側はわかっていおらず、無理矢理流行を作り出したあたりに、SNSのリテラシーのなさが顕著に出ていたように思います。
もうひとつは、いつバルスが来るだろう…。
バルスと言ったタイミングでジャストにつぶやけるだろうか。
という一種の射倖心をものの見事に潰してしまったことです。
ユーザー心理を分かっておらず、せ〜のでやったらいいだろう。
という本質を掴めていなかったことも離反のもう一つ原因と考えられます。
これ以上書くと、批評ではなくテレビ局の悪口やらになりそうなのでこのあたりに。
最後に、企業側のSNSとの関わり方について触れたいと思います。
企業とSNSとの適切な距離感について
これは肌感論の話ですが、SNSのユーザーというのは一種の天の邪鬼的なパーソナリティがあると思っています。
ここでの天の邪鬼というのは、流行は自分たちSNSユーザーが作り出すものであって、今回の場合であればテレビ局の仕掛けによってやるものではないというものです。
twitterというメディア上で、ある種自然発生的に発生したものに対して他のユーザーが賛同してイベントが拡大していく。
SNSでのトレンドの起こり方というのは、ふとしたところで生まれ、ふとしたら拡大しているという予測不可能な性質を多分に孕んだものだと思っています。
ですので、企業側がユーザーに対するアプローチとしては
「さぁ、バルスまであと○秒ですよ」
という旗の振り方をするのではなく、そっと見守りつつ、時に悪ノリをして「バルス祭りが起こるんでしょうか」
と、あくまでも盛り上がるであろうタイミングや話題を客観的に見つめつつ、関与しすぎない姿勢が求められると思います。
流行を作るのではなく、流行するであろう話題のタネを置いておき、ユーザーに育つかどうかはゆだねる。
企業側がSNSユーザーに必要な姿勢は、ユーザーへのコンテンツの整備という「押しつけ」ではなく、ネタになる話題の食材をあちらこちらに置いておき、美味しいものを作ってもらう「自主性」でしょう。
どこかで、優れた料理人的なユーザーが調理してくれると願いながら。