プロ野球のバッティング、投球術を大きく変えた、一冊の本 -シンクロ打法という刀-
小学校6年生のことだったか。
父親と一緒に、近所の本屋へと行った時のこと。
「もっと打てるようになりたい」
ダウンスイング狂に陥ってしまい、完全に自分の形を失っていた中で一冊の本が私の目に留まりました。
アンドロイドのような気味の悪い物体がバットを持つ姿が描かれた表紙。
今思えば、なんでこんなものに惹かれたのかと当時の審美眼を問いただしたくて仕方ないのでありますが…。
とまれ、小学校6年生の時、私が直感だけで選んだこの本。
この本、野球の本なのに
プロ野球経験のない人が書いた本
だったんです。
そして、このプロ野球の門を叩いていない、ひとりの男によって書かれた本が1990年代までの野球と、2000年初頭のそれとを大きく変えたエポックメイキング的な一冊となったのです。
緩急を駆使した投球術の崩壊
このバッティングの正体という本。
これまでのバッティングの常識を覆すようなメソッドが数多く書かれていましたが、特に画期的だったのは
ある方法によって、打率を飛躍的に上げることができる
ということを提唱した点です。その方法とは
シンクロ
というビッチャーが重心を上下動させる中で、一定のタイミングで同様に重心を沈ませるというもの。
たとえていうと、普段じゃんけんをするときに
「じゃん〜けん〜ぽん!」
と、拳を相手の動きに合わせて上下動させるあの感じです。
(あれやったら、なんだかタイミングが掴めると思いますが、あの原理を応用したものです。)
投手の動きに合わせて、重心を動かす。
これによって、タイミングを崩されずに打つことができるというものです。
シンクロってどんなもの?
ということで、伝わりにくければこちらの動画をご覧ください。
(けれん味のないシンクロで打棒を振るった城島選手のバッティング)
投手がモーションに入ったあと、一定のタイミングでかかとを沈みこませる動き。
これによって、何が起こったかというと
緩急だけでは投手は打ち取れなくなる
という、野球のベーシックな攻め方が通用しなくなったのです。
これまではカーブとストレートといった、コンビネーションだけでうち取れていた投手が苦戦することとなります。
そのことによって、全体的に打者が有利になり、投手が不利な状況へと転換することとなります。
シンクロで「確実性」というもうひとつの刀を手に入れたある選手
シンクロ打法が提唱された1998年。
その翌年、ある選手が「シンクロ」という武器を手に入れ、持ち前の長打力に加え確実性を手に入れつこととなりましたた。
これによって、彼の打撃には持ち前の長打力に加え「確実性」という新たな武器を手に入れることとなったのです。
シンクロ導入前
シンクロ導入後
導入前、導入後でかかとの動きに変化がみられることがおわかりいただけるかと思います。
続いて、シンクロ導入前、導入後の打率を紹介します。
松井秀喜のシンクロ導入前、導入後の打率
年度 | 打率 |
---|---|
1998 | .292 |
1999 | .304 |
導入前まで、2割8分〜9分前後だった彼の打率は上昇。
シンクロ打法を取り入れることにより、キャリアで2度目の3割を達成するだけでなく、その後MLBに移籍するまで4年連続で3割を達成することとなります。
シンクロを取り入れたことによって得た変化は、打率だけではありません。
タイミングを取ることができるようになったため 、それまでの2ストライクから外に逃げるカーブで三振を取る配球が通用しなくなったのです。
これにより、ピッチャーは緩急ではなく、打てないコースにきっちりと投げ分ける細かいコントロールが求められるようになったのです。
厳しい攻めをする →四球になる
厳しく責めて甘い球になる→長打になる
どこに投げたらいいんだ
という無双状態へと彼を導くこととなります。
これにより、2003年にはそれまでリーグで10人程度だった3割バッターが19人という超打高時代を迎えることとなります。
間違いなく、シンクロが野球を変えたといっても過言ではないでしょう。
シンクロ打法は、投球術を変えた
緩急だけで打ち取れたこれまでの投球術から、細かいコントロールがないと、スコーンと打たれるようになった2000年代前半のプロ野球。
甘いところに投げれば、バッターに打たれてしまう。
打者の技術革新と同じくして登場した飛びすぎるボールによって、見る人によっては
大味でつまらない
と感じる時代が続くこととなります。
しかしながら、このシンクロ打法。
ありとあらゆるボールに対応できる魔法の杖ではなかったのです。
シンクロ打法はタイミングを合わせるのには有効なメソッドでしたが
カットボールなど小さな変化への対応は打者のコンタクト能力に左右されるという一面があったのです。